ながさきの木を使って、山に森づくり

森を守るということ

森は、木材などの林産物の供給ばかりでなく、土砂の崩壊や流出を防いだり、良質な水を安定的に供給したり、野生生物の多様性を保全したり、地球規模の環境を保全するなど、われわれ人間が社会生活を営むうえで必要な環境を整えてくれています。

人間は、森が生態系を維持できる範囲の中で、木材を利用し、森を再生していく。このことは人類が地球に住む生物の一員として、生態系の中で共生していくために大事な活動なのです。

 

木を使って、森を元気に

地球温暖化問題などで、森の大切さはよく知られるようになってきましたが、森から木を伐り出すことは良くないことだという誤解も増えているように思われます。

木は、二酸化炭素を葉から吸い、根から水分を吸い、太陽エネルギ-によって体を太らせています。同時に葉や幹の一部などの生きている細胞は、呼吸を行い二酸化炭素を放出しています。
【木を使わない森】

森が生長するにつれて葉の量が一定となり、光合成の量も一定となります。一方、樹木の生長によって幹などの呼吸量は増えていきます。光合成で吸収した炭素のうち幹の生長に回る分が減っていくのです。
さらに、寿命や競争に負けて枯れた木が分解する二酸化炭素放出も加わり、老齢段階の森は見かけ上、大気中の二酸化炭素を吸収も放出もしない状態になっています。
【木を使う森】

老齢の樹木が毎年適切に伐り出され、その後に植栽され、若くて二酸化炭素を旺盛に吸収固定する樹木がバランスよく含まれた森林では、二酸化炭素の吸収量が常にプラスになっており、大気中の二酸化炭素濃度を減らす働きをしています。

このバランスを維持するためには、森全体の生長量を伐採量が上回らないようにすることが大切です。 そうすれば、このような森から伐り出した木材は、そのまま燃やして二酸化炭素を排出しても大気中の二酸化炭素を上昇させません。その木材を生産した森林が、伐採量以上の分の二酸化炭素を吸収し続けているからです。森林を放置して老齢段階のままにしておき、一方で石油などの化石燃料をエネルギ-源として使っていけば、その分の二酸化炭素はどんどん大気中に蓄積していきます。(引用:ウッディライフを楽しむ101のヒント(社)日本林業技術協会)

山の窮状

(財)日本不動産研究所が毎年発表している「山林素地及び山元立木価格調」によると、全国平均のスギの立木価格はここ10数年下がり続け、平成12年は7,794円/m³(前年比4.8%下落)でした。この値段は高度経済成長がスタ-トする昭和35年の水準です。40年前は1ドル=360円で外貨がなくて困っていた時代。それは自給を目指して干拓を始めた農業基本法に続き、その後の都市部を中心に倍増する木材需要にも日本の山の木で対応できるという考えのもとに、30haの小規模な林家でも自立経営が可能とした林業基本法が世に出る前夜でした。

毎年値上がる木材価格に何の疑問も持たず、全国数十万戸の林家は借金をしてまでスギ・ヒノキの造林地を増やし続け、戦前に比べて3倍の1000万haを超える人工林をつくりました。一方では、丸太の完全自由化や、消防法を始めとする数々の木材の使用規制が進みましたが、それには目立った運動もせずに、でした。

それから40年、前半の20年間は日本林業にとってこの世の春でしたが、後半の20年間は、昭和55年の22,707円/m³をピ-クに立木価格は1/3にまで下落する一方でした。(中略)

今の7,794円/m³という価格は、跡地造林費用を考えると実質的にはゼロに等しい価格です。これでは多くの林家は意欲を失います。所有者が手入れしなくなった山は昼も真っ暗で下草も生えず、風雨によって表土が流れる荒山になりつつあります。これでは森林の公益的機能が充分に発揮できないばかりか、下流の人々の生活の安全性をも危うくする心配があります。

昭和20年代までは、下流の町は上流の山から薪炭材を買い、その代金が山に還ることによってバランスよく共生関係が成立していました。その後のエネルギ-革命。また1ドル100円近くにまで強くなった円を背景に丸太や木製品が世界中から無関税に近い状態でコンテナ単位(1台約40m³)で輸入されるようになりました。これでは共生関係は断たれ、山村の過疎化は進むばかりです。

これ以上、山の荒廃が進めば町の生活も安心できません。再び新しい共生関係づくりを目指してほしい。その目的は美味しい水が飲みたいからでも、美味しい空気を吸いたいからでも良いのです。もう一度日本の山を見直し、そして近くの山の木を用いた家づくりに挑戦してほしい。(中略)

日本の木でつくられた家があちこちに展開すれば、日本の山も再度生き返ることでしょう。そのために生産者である我々は一層の努力をし、木の良さを引き出すための試験研究や技術開発を進めなくてはなりません。それも設計者、研究者、施工者とのネットワ-クをもって進まなければなりません。(中略)

森づくりは一代でできる仕事ではありません。80年生の林は親子3代の辛抱でつくられます。現在の山元立木価格は、跡地の造林保育をあきらめた市場価格から逆算された数字であることを忘れないでください。(「木の家に住むことを勉強する本」泰文館発行の「山側の辛抱:林業家和田善行」より抜粋)

町側がやるべきこと

近くの山が元気になり、町の建築主の信頼を高めるには、2つの問題があります。

1つは山元立木価格を上げることです。山を荒廃から守るためには、まず山が食えなければ始まりません。前項で和田さんが述べられている窮状は、いかに山が深刻な事態にあるかを伝えて余りあります。山の荒廃は、町にとっても影響の大きい問題なので、あまり聞き慣れない言葉ですが、これからは町も、山元立木価格を注視してかかる必要があります。

2つめは、俗に「ずぶ生」と言われるような、建築用材として適格性を欠いた木を避け、十分な乾燥と、強度の得られた材を用いて、木造の信頼性を高めることです。

この2つとも、お金がかかります。消費者の負担を避けるため、米の食管制度のように、山が売りたい価格と町が求めたい価格との差額を政府が補助すべきだ、という動きもありますが、そんな夢のような夢のような話を待っている間にも、山の荒廃は進行し続けています。

このコスト上昇分は、第1に流通経費や設計と工事の工夫によって捻出すべきです。いくら努力しても追いつかない分は、暴論といわれるかも知れませんが、消費者自身も覚悟を決めるべきです。かつて熱帯材が安かったのは、更新・環境・社会費用をみないで、原生林を買い叩いて運びいれたからです。人に犠牲を強いてマイホ-ムを手に入れるというのでなく、適正費用は払うべきです。

建築費全体の中で木材が占める割合は、実は思われているほど高いものではありません。住まいを建てるにあたって、本質的に何を大事にするかが問題で、余分ともいえる設備や装飾に散財していることを改めれば、このコスト分程度は、すぐに取り戻せるのではないでしょうか。(「木の家に住むことを勉強する本」泰文館発行の「町側がやるべきこと」より抜粋)

戸建て住宅は規模が小さいため設備工事や仕上げ工事などの比率が高くなりやすく、全体工事費に占める工事費用の比率は大きく変動します。一般的には本体工事の35~50%を木工事が占め、その1/4~1/2、つまり本体工事費の10~20%が木材費です。(詳しくは「もっと知りたい木の魅力」木材利用相談Q&A100をご覧下さい)